落ち着いた色調の天然石と煌びやかな雰囲気が印象的。開放的な空間でゆったりとお参りいただけます。
天然石を使用した洗練された印象の完全個室タイプ。ゆっくりと語らいのひと時をお過ごしいただけます。
自動ドアによる完全個室の高級感ある特別室。モダンな意匠を施したエレガントな空間で、ゆったりとお参りいただけます。
ご要望やご質問などがありましたら、お気軽にお問い合わせください。
本人確認書類/健康保険証・免許証・パスポートなどの公的書類、住民票(本籍・世帯全員表記されたもので
マイナンバーの記載がないもの)、申込金(1万円)
家紋を銘板に彫る方は、家紋名称または家紋のお写真など/銀行印(認印)
子供達に負担をかけないよう故郷にあるお墓を
ご自宅の近くに改葬(引っ越し)する方が増えております。
文京区白山1丁目の
閑静な住宅街に佇む白山御廟。
館内はゆったりと
おくつろぎいただける空間に。
大切な方との語らいのひと時を
お過ごしください。
広々とした地下1階の参拝室と3階には全て個室の参拝室をご用意。心ゆくまでお参りしていただけるよう落ち着いた雰囲気となっております。
自動搬送式の参拝システムを採用。ICカード一枚でご参拝いただけます。お花やお香は備え付けでお寺が管理。墓石のお掃除も不要。室内はバリアフリーで移動もスムーズ。安心してお参りいただけます。
代々家系を継承する方、後継者がいない方などどなたでもお申し込みいただけます。
ご遺骨をお預かりするだけでなく、葬儀、法要や会食まで同じ建物で執り行える施設でご安心いただけます。葬儀・法要などについてもお気軽にご相談ください。
圓乗寺が大切なご家族の家系をしっかりと永代にわたりお守りいたします。万が一、継承される方がいなくなっても、合祀墓にて責任を持ってご供養させていただきます。
代々家系をつなぐ大切なお墓。建物設計は一級建築士事務所「朱雀設計事務所」が担当。大成建設が施工。安心をお届けします。
見学予約・資料請求・お問い合わせをご希望の方は
以下のいずれかを選択、ご記入いただき、送信ボタンを押してください。
圓乗寺は天正9年(1581年)、圓栄法印が本郷に密蔵院として創建したと伝えられており、元和6年(1620年)に實仙法師が圓乗寺と寺号を改めました。
本尊は釈迦牟尼如来と、江戸三十三観音第十一番札所の聖観世音菩薩です。
また、有名な八百屋於七の舞台であり、境内には於七の墓所、於七地蔵堂が残っています。
昔から縁結び・火伏として、現在でも多くの人々の信仰を集めており、八百屋於七地蔵尊の縁結びは、人と人とのつながりばかりではなく過去・現在・未来、宇宙のすべてが縁を結んでいるという広い意味があります。
心を込めて一心にお参りいたしましょう。
於七は駒込で有数の八百屋に生まれ、育ちました。天和2年(1682年)に生家近くの本郷追分で出火があり、於七の家も焼け、圓乗寺に避難しました。この時於七は圓乗寺の小姓と恋仲になり、家が再建され、戻れることになっても小姓に会いたい一心で付火をしてしまいます。
江戸時代もようやく爛熟期を迎え、泰平の世となったとき、於七の事件は当時の民衆にとって一大事でした。放火は重罪とはいえ、戦乱時以外で女性の火刑が行われたのは於七ただ一人だったのです。恋のためとはいえ、ひたむきで純情可憐な於七の心痛を察し、当時の人々は同情・哀憐な思いを寄せました。瓦版が北は蝦夷・松前、西は京・大阪、南は薩摩・琉球と、全国津々浦々にいち早く伝わったことからも、当時の人々の於七に対する気持ちがうかがえます。
井原西鶴は「好色五人女」の中で 《世の中のあはれ春吹く風に名を残す遅れ桜の今日散りし身は》の一首を辞世としています。このほか、於七の物語は、浄瑠璃・歌舞伎・舞踊・小唄・演劇などに数多く取り扱われております。
於七は恋人の夢枕に現れ、西方極楽浄土に往生したと、在世のとき所持していた一体の地蔵尊を残し、西に向かい光明を放ち、紫雲に乗って飛び去ったといわれています。この地蔵尊が八百屋於七地蔵尊であり、昔から縁結び・火伏として、現在でも多くの人々の信仰を集めています。
八百屋於七地蔵尊の縁結びは、人と人とのつながりばかりではなく過去・現在・未来、宇宙のすべてが
縁を結んでいるという広い意味があり、多くの人々が、以下のお願いで参詣しております。
・良縁成就 ・家内安全 ・開運招福 ・厄除 ・災難消除 ・交通安全 ・学業成就 ・火伏
心を込めて一心にお参りいたしましょう。皆様方の心願を成就し、より幸せな人生をお送りください。